新米の季節

  実家の母から電話がかかってきた。

「新米送りでんだども」

  そういえばそんな季節だ。九月の末には稲刈りが終わったらしい。秋田にいたころは毎年の恒例行事だったのに、思い出すこともなく十月中旬になっていた。

「いいよお、まだ前に送ってもらったの余っ       てるし……。」

「んだごど言ったってさっとか(ちょっと)だ べ。新米の方がうめえがらなげで(捨てて)しまえばいいねが」

  うう。ごめんなさい。さっとかではないんです。前に送ってもらったのが確か六月で、それから一、二回しか炊いていない。余っているというには余りすぎなのです。

  お米送ってもらえるなら炊けばいいじゃない、と思われるかもしれないが、じつはわたしは米がだいきらいなのだ。あのむせかえるような炊きたてご飯の匂い、あれが朝待ち構えているというだけで憂鬱になる。食感も気持ち悪い。定食屋などで出されても極力食べたくない。

  実家は米農家だから、米がきらいだと言おうものなら鬼のような叱責が飛んでくる。

「おめえ父さんと母さんが汗水流して作った米が食えねってのがー!」

  叱られて泣きながらご飯を口に運んだ幼少期が忘れられない。そんな鍛錬の成果あって、いまは食べられるようにはなったのだが、苦手なのに変わりはない。年中田んぼの面倒を見ている両親にはほんとうに申し訳ないのだができれば食べたくないのだ。

  わたしがすっかりご飯を好きになったと思い込んでいる母親に「米、にがて……」とはよもや言えず、わたしのアパートにはとうとう米が送られてきたのだった。

  実家から送られてきた段ボールはいま、玄関に放置してある。開封には至っていない。荷物を開封するということは古い米を捨てなければならないということであり、その罪悪感に耐える勇気がどうしても湧かないのだ。

  でもずっと放っておくわけにはいかない。腹をくくらなければ。今日こそは……今日こそは開けようと思う。そう決意して一週間になる。